2019年12月22日

軍都木更津の歴史から学ぶ 〜戦略爆撃・慰安所・徴用・総力戦体制〜


午前中は、まだ雨は降っていなかった。1時間半は議会速報配り。
心地よい汗。
午後は、学習会に参加。
軍都木更津の歴史から学ぶ 〜戦略爆撃・慰安所・徴用・総力戦体制〜
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知らなかった。
戦時中、航空廠の疎開があっただなんて。
米英開戦を 目前に控えた昭和16年(1 941)10月、 東京湾の要衝である木更津の巌根に第二海軍航空廠が開庁した。 航空廠は海軍の航空機の修理工場であり、 補給部・飛行機部・発動機部・兵器部などが置かれていた。
太平洋戦争が始まって、 航空機の損耗が激しくなると、 第二海軍航空廠は八重原村・周西村に八重原工場を建設することを決定する。
戦局が悪化すると、 生産力増強のため、 木更津高等女学校(現千葉県立木更津東高等学校)等に学校工場を設立するとともに 米軍による本土空襲を避けるための工場疎開をほぼ同時に行なった。
疎開先は工場、 倉庫、 学校、 寺院、 地下トンネルなど。
講師の栗原先生は、地図に番号を29までふっていた。
➀昭和校 ➁岩根校 B中郷校 ➃木更津高女
D木更津中学 E祇園山中 F東清校 G祥雲寺 
H坂田 I周西校 J貞元校 K貞元澱粉工場
L法巌寺 M貞福寺 N八重原校 O松本ピアノ工場
P小糸煙草集荷場 Q中村校 Rカギサ醤油工場
S青堀校 ㉑青堀病院 ㉒大貫海浜学園 ㉓大貫病院
㉔大貫第二校 ㉕佐貫山中 ㉖山本醤油工場 
㉗佐貫鋳物工場 ㉘佐貫校 ㉙二見旅館

知らなかった。
こんなに学校が軍事工場になっただなんて。
知らなかった。
佐貫の山中にトンネル堀って軍事工場にしただなんて。
知らなかった。
そのトンネル掘りには、朝鮮人が労働していたなんて。
知らなかった。
アメリカの資料には、ナンバリングされてて、
木更津にあった海軍飛行場もそこにある建物も
すべてナンバリングされてて、空爆する目標はしっかり知られていただなんて。

知らなかった。
B29で木更津の上空を高度10000mから
偵察していて、海軍飛行場を空から撮影した写真があっただなんて。
高射砲
自動火器
機関銃
弾薬貯蔵庫
41機の単発飛行機
1機の双発飛行機
7機の双発輸送機 みな写真で分析されていただなんて。

だから
1945年 硫黄島米陸軍部隊100機による木更津基地を目標の空襲があったんですね。

こんな歴史を学んだあと、質疑と意見交換。
オスプレイの暫定配備の話になり、軍都木更津ありきできたのでは。
やっぱりいらない。オスプレイ。
posted by のんのん at 22:55| オスプレイ