2020年10月03日

木更津基地の歴史 渡洋爆撃からオスプレイまで


オスプレイ 来るないらない住民の会の6周年の総会。
記念講演。
講師は、いつも大人の学校で講師をしていただいている
栗原克榮先生だった。

私にとっては、じっくり1年かけて、学んでいることを1時間に濃縮しての話。
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昭和7年頃、木更津港は、破壊されていたのを修築していた。
出た土砂は、埋め立てていた。
当時、基地を誘致しようと、促進同盟があり、中心となっていたのが、
のちの初代 木更津市長 石川善之助と商工会。
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江川で漁業を営んでいた民は、反対していた。
桜井に移転したという。

広大な土地で、2万坪。2年間で整備し、航空隊が開隊した。
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基地の周りは、立ち入り禁止。漁業もできない状態だった。

帝都を守るため、つまり、防衛のための軍事施設となった。
というのも、1937年7月7日に 盧溝橋事件で、日中前面戦争が始まる。

なんと、この6か月も前の1月に、
木更津航空隊は、長崎県大村まで、一度も着陸せず、
ノンストップの飛行を成功させていたのである。

そして、盧溝橋事件の1か月後、
8月15日 南京を20機で爆撃した。このとき、木更津の航空隊も出動。
このとき、2点、国際的なルールを破って世界から非難された。
➀ 軍事施設ではなく、民間人を爆撃した。
A 開戦すると言わずに、爆撃した。

日本は20機中、4機、中国軍に爆撃され、30人が戦死。

航空隊は、済州島に行き、そこから何度も空爆のため、出動した。
南京をめざした陸軍を空から支援した。
12/3 南京 陥落。
南京大虐殺の話も…。

軍隊は、自己増殖する。
第二海軍航空廠ができた。
また、海軍の無電敷地が木更津の請西に決まったという新聞記事。
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現在の木更津二中だ。

反対運動をしていた証が、これ。
中の島公園にあるという。気が付かなかった。今度みてこよう。
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読むとじんとくる。

また、市議会はどうだったか。これ。
昭和43年6月議会の決議
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軍隊は自己増殖するというのも、なんか、今もではと思う。
オスプレイも、
米海兵隊の定期機体整備だけでなく、
米軍の定期機体整備もしたいなんて言ってるし、
陸上自衛隊も暫定配備をしたし、暫定といってて、
佐賀に配備できなければ、ずるずる木更津に居座ろうとする防衛省。
5年だけですからね。

というわけで、今日の午後は、しっかりお勉強。
午前は、議会速報を配ってましたよ。10000歩を軽く超えました。
田中の担当分、完了。
posted by のんのん at 21:09| 防衛関連