2020年10月08日

戦争目的は目下研究中、それでも開戦。75年前


今日は、午後から大人の学校だっだ。
戦争をする意味は、後付けだった。
びっくりです。
1941年 御前会議は4回開かれた。
明治憲法下で、国家の重大事に関して、天皇の出席のもとに、重臣・大臣などが行う最高会議

7月2日 御前会議 南進することを決定

9月6日 御前会議 
「日米交渉を進める」「日米交渉決裂で戦争をする」のどっちにするか決めるのを10月下旬をめどに準備

11月2日 
昭和天皇「(戦争の)大義名分は如何に考えうるや」
東条首相「目下研究中でありまして何れ奏上いたします」


11月4日
東久遷宮陸軍大将「大義名分を明らかにし聖戦の趣旨を中外に示し、
且国民をして感奮、国難に殉ぜしむることに関し所信を問う」
東条首相「戦争の目的の顕現に関しては、
具体的に如何に示すべきやに関し研究なるも、
唯今御前において確信を以て申す迄に至りあらず」


11月5日 御前会議 日米交渉行き詰まる。まだ決まらない。
 12月1日をめどに、開戦判断をすることにした。

12月1日 開戦最終判断決定。

12月7日 戦争する理由を聞かれても、まだ答えられなかった。
なのに、
12月8日 日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃
開戦。

戦争の理由は、後付けだった。
ホンネは、自存自衛のための資源獲得だった。

開戦後、当時はやっていた言葉「大東亜共栄圏」を使った。
タテマエは「大東亜共栄圏建設」

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アメリカと日本を比較。歴然と数の差。

日本は、戦地へ軍事物資や食料を届けることはとなかった。
兵士は現地調達。

たくさんの兵士を現地に送り込んで、その死因にびっくり。
捕虜になっても、国際ルールで守られることを日本の兵士は
教えてもらえていなかった。だから、
「捕虜になることは恥」と教えられ、万歳突撃で多くの兵士が無駄死に。
「餓死した英霊たち」という本を講師の栗原先生は紹介した。
南の島々の兵士には、援軍も輸送船も来ないため、
餓死者は、140万人、戦没者の60%強
輸送船など船舶は、アメリカの潜水艦の攻撃で、兵士は水没死40万人、戦没者の20%強。

731部隊の話や徴用工(強制連行)の話、
戦後補償の歴史、安倍政権前までは、
国と国の戦後賠償は話がついても、個人の賠償を政府は、別途進めて企業も賠償・和解をしてきた。
安倍政権になり、個人も、その話は終わったことというのは、過去の事例と違うことを学んだ。

なんのためのだれのための戦争だったのか、
そう改めて思った、今日の大人の学校だった。


さて、なんだか、こっちに台風がやってきそう。
さっと、通りすぎてほしい。
被害がないように。

日曜日は、父と母の結婚記念日。
もう何回目かというと、私の年にプラス1
今月は、私も、夫も誕生月。

だから、もろもろ合わせて、
お食事会を企画してるんだけど。
posted by のんのん at 20:55| 平和