2011年3月11日。東日本大震災があった。
原発事故で放射能がもれ、目にみえない被害が広がった。
この年、4月に議員になってまもないころ、市民が
合体している花を事務所にもってきた。
そして、雨が危険であること。放射線量の話。
私はちんぷんかんぷんだった。5.6月頃から
学校のプールがとか、水道水はとかなにかと関心があり、
測定が始めた。
測定器をいちいち借りるのにとても手間がかかったので、
政務活動費で購入。2年間、スタッフや市民と測定しまくった。
その記録にまとめたのが、この小冊子。
これは、2011年の報告。
市民やスタッフがここをという公園を計り、
測定場所の写真もとる。
夜にデータをまとめ、翌日、木更津市の所管課に届ける。
数日後、所管課から土を除去(清掃)をしたと連絡を受けると、
今度は、私たちが下がったことを確かめにまた測定に行く。
その結果は、1か月に、HPに掲載していた。
一年目より、2年目は測定値も下がっていて、
0.23マイクロシーベルトを超えるところは
少なくなったので、この白書は2冊作成で終わっている。
その夜、データをまとめ、
同じ場所を木更津市が対応したあとも測定し、
下がったことを確認した。
これは、(たぶん)ラスト一冊の2011年の白書。
黒い部分が測定結果で高くて、対応が必要だったところ。
だから、表をよくみたら、同じ場所でも、
別の日は下がってるでしょ。
対応中というのは、測定値が高く、
木更津市が対応済みになったら測定できるので
対応中としています。
よく調べたなーとおもうけれど、ほんとに
目に見えない恐怖、不安をみえる化して
すこしでも安全・安心な暮らしをと思ったから。
ふりすえれば、このころからコツコツ調べるのが
活動の原点だったと思う。
2023年03月10日
明日で12年。12年前の記録。
posted by のんのん at 21:27| 原発・放射能