2023年03月10日

明日で12年。12年前の記録。

2011年3月11日。東日本大震災があった。
原発事故で放射能がもれ、目にみえない被害が広がった。

この年、4月に議員になってまもないころ、市民が
合体している花を事務所にもってきた。
そして、雨が危険であること。放射線量の話。
私はちんぷんかんぷんだった。5.6月頃から
学校のプールがとか、水道水はとかなにかと関心があり、
測定が始めた。
測定器をいちいち借りるのにとても手間がかかったので、
政務活動費で購入。2年間、スタッフや市民と測定しまくった。
その記録にまとめたのが、この小冊子。

DSC_2229.JPG


これは、2011年の報告。
市民やスタッフがここをという公園を計り、
測定場所の写真もとる。
夜にデータをまとめ、翌日、木更津市の所管課に届ける。
数日後、所管課から土を除去(清掃)をしたと連絡を受けると、
今度は、私たちが下がったことを確かめにまた測定に行く。
その結果は、1か月に、HPに掲載していた。

一年目より、2年目は測定値も下がっていて、
0.23マイクロシーベルトを超えるところは
少なくなったので、この白書は2冊作成で終わっている。

その夜、データをまとめ、
同じ場所を木更津市が対応したあとも測定し、
下がったことを確認した。

これは、(たぶん)ラスト一冊の2011年の白書。
DSC_2230.JPG

黒い部分が測定結果で高くて、対応が必要だったところ。
だから、表をよくみたら、同じ場所でも、
別の日は下がってるでしょ。
対応中というのは、測定値が高く、
木更津市が対応済みになったら測定できるので
対応中としています。

よく調べたなーとおもうけれど、ほんとに
目に見えない恐怖、不安をみえる化して
すこしでも安全・安心な暮らしをと思ったから。
ふりすえれば、このころからコツコツ調べるのが
活動の原点だったと思う。
posted by のんのん at 21:27| 原発・放射能