2016年08月20日

基地・安保 砂川・立川基地をめぐる


立川市は24㎢ 米軍基地が1/4を占めていた。陸軍の飛行場があり、
戦争が終わって、米軍が農民に何も断りもせずに、ブルドーザーで基地にしてしまった。
そう話すのは、元立川市議で、砂川を記録する会の島田清作さん。
「滑走路を長くしたくて、1945年ここまで勝手に基地にしてしまった。赤いチェックの部分は、1956年のこと。」
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当時は、基地は、砂川町と立川市の間にあった。合併後、立川市のまんなかに、河口湖なみの大きさの基地がどんとあったので、まちづくりを市独自で描くこともできなかった。
(水道もガスも電気も、直線でできないから苦労したでしょうね。)
1955.5.4に砂川町長に「滑走路を伸ばしたい」と話が米軍からあった。農民150人に町長は話した。
5.8 反対同盟ができた。
5.12 議会は臨時議会を開催。反対決議を採択。
   闘争委員会を立ち上げた。委員長は議長。町長は町の予算を出すことにした。
   婦人会も学生の団体も、労働組合も反対決議を次々とし、まちは団結していった。
   戦争後もとられ、その上、またとられるなんていやだ。
秋  国が測量にきた。機動隊もきた。農民は座り込み。
   「杭は打たれても、心にくいは打たれない」中心人物は、青木市五郎さんだった。
   最前列でがんばってたのは、島田清作さん。
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   基地拡張のための測量を阻止しようとする砂川の農民や支援の労働者学生はみんな素手。
   数ヶ月にわたる戦いのピーク、
10.13 警棒をふりかざした警官隊が襲いかかり1195人が負傷した。
10.14 政府は測量中止を決定した。
   砂川闘争は、政府を相手に闘って勝利した、稀有な闘争だった。

「流血の砂川」1時間の映画を30分のダイジェストで観た。
   政府は、反対同盟を一軒一軒訪問し、土地を売るよう組織の切り崩しを図った。
   150軒から最後は23軒になってしまった。
1964年から3年間 国は収用委員会でどれだけの土地を取り上げてどのくらいにするか検討
   ところが知事選で、「東京から火薬のにおいを消す。立川基地拡張反対」を公約に みのべ知事誕生。
1968年アメリカは、立川基地はの拡張をあきらめ、日米合同の横田基地にのちに3350mの滑走路を作ることになった。
憲法12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

つまり、自由や権利は、やり続ける決意と行動があってこそ、守られるものであるということを実証したと島田さんは語る。

この歴史がなんと、今につながる。
@青木市五郎さんは、1945年に勝手に米軍に自分の畑を取り上げられた。米軍に
 賃貸契約を何度もいいに行き、月8銭と額が決まった。
 そののち、契約は破棄するので、土地を返せと要求。
右矢印1米軍は、写真をみて、確かに、畑があったことを認めた。返還してもらえることになったが、
 滑走路の状態ではなく、畑に戻して返すように要求。1960年の安保法には、元通りにしなくてもよいと書かれていたので、米軍は支払わず、政府が相模原から畑の土を大量に運んで元通りにした。
当時の写真は

その畑、ケヤキの苗を育てる畑は基地の中。当時の写真。
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現在も、基地の中で、柵を青木市五郎さんの孫にあたる青木さんに開けてもらい、案内してもらった。
中に入れるのは、貴重な体験。
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この小道の先が畑。右側の柵の向こうが現在は自衛隊基地。
左側が米軍の時の滑走路。
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養蜂 みつばちのそばには、あかしやの木も。
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枕木で杭をしている。そこからが青木さんの畑。今は立派な木。
当時、返還してもらって、記念に植樹をした。
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それが大きくなり、飛行機が飛ぶのに支障をきたし、滑走路利用を断念したという。

A1957年のとき、柵を倒して2.3mは反対同盟の人が米軍基地の中に入ってしまった。23人も逮捕され、7人が起訴された。でも、地方裁判所は、無罪判決。
 …その理由 憲法の前文や9条の違反になるから。 
 米軍基地がある。→戦争に行くとき、立川の米軍基地が行く →敵国にしてみれば、この基地をねらう。
 →日本に米軍の管理権はない。米に頼んで駐留してもらっている。基地のお金も日本が出している。
 日本が軍隊をもっているのと同じ→憲法に違反している立川基地に入ったということで、
 立川基地を守るのは憲法違反だ これが1959.330伊達判決

Bこれにびっくりしたのは、政府。ちょうど翌年安保改正の時期。
 高等裁ではなく、異例の最高裁に。縦判決を破棄。
 こんな高度な防衛をするためには、米軍は必要。駐留軍がいるのは憲法違反ではない。
 この判決のあと、安保法改正と地位協定ができた。
2008年 新原 昭治がアメリカの公文書館を訪れ、当時のことが詳細にわかる公文書発見。
  田中こうたろう最高裁の裁判長や外務大臣が、アメリカ大使と何度も話しあっていた。
  このことで裁判を再度起こすことにした。
2009年 伊達判決をいかす会が東京地裁に、再審請求をしたが却下された。

さてさて、さっきの続き。
この歴史がなんと、今につながると語る。
集団的自衛権の時、法的根拠に砂川裁判を持ち出しているが、これは根拠にならない。

基地の跡地をどう使うか。
なんと、立川市議会と立川市は、市民を交えて、公園などのプランを立てて、政府に案を提出したら、却下。
その理由は、国有地の財産だから、国が考える。
自衛隊と昭和天皇の記念公園など。
市長もかわり、国の案でよさげと考えていた。
ここで、また、住民運動。さんざん今まで我慢してきて、市民の案を受け入れることもないので、
住民が投票して決めるための準備をした。
1か月の間に、人口の1/50集めなければならない。市の職員労働組合も有給を使って、チラシ配り。
それぞれの団体も呼びかけた。
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どっちの案がいいか情報知らせ、住民投票をする署名活動チラシ。
10日間で市の人口の1/5も集めた。
議会に提出したが、すっかり市長よりの議会は、住民投票をすることを否決した。
全国で初めての住民投票だ。と語る島田さんは活気に満ち溢れていた。
立川基地で返還され、再開発されたところはアートがいろいろ。
その中のひとつ、
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最近、まだすくすく大きくなっている私だが、少しは小さく見えるかしら。


posted by のんのん at 23:37| 平和