雨風がまだ強くないうちに帰宅できました。
さて、秘密保護法案の集会に行ってきました。
会場は、衆議院第一議員会館の多目的ホールは、立見席がでるほど。
200人以上いたような。台風が来るというのに。
資料もいろいろ配られた。
国会議員も何人か来られて挨拶していたけれど、この写真は山本たろうさん。
背中にリュックサックを背負って会場入り。
全国行脚をして秘密保護法案の危険性を訴えてきたことを話してました。
「秘密を洩らしたほうも、聞いたほうも処罰される。身の危険を感じた」
他人事ではありませんね。
さて、海渡弁護士の基調講演は、原発事故と秘密保護の関係でわかりやすい話でした。
具体的には、
@2010年11月に、国は東電に津波対策について説明を要求。
2011年3月7日、東電は「福島第一原発および第二原発における津波評価について」を提出。
H14年(2002年)の地震調査研究推進本部の長期評価に対応した断層モデルに
基づいた試算結果 明治三陸地震o.p+13.7〜15.7m
延宝房総沖地震o.p+13.6m
2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震 津波の浸水高 o.p+11.5〜15.5m
3月7日の報告は、長期にわたって秘匿
2011年3月13日 東電社長会見
それ以来、事故は「想定外の津波」を原因とするもので。
東電には法的責任がないとの主張が繰り返された。
海渡弁護士は
「みなさん、国・保安院は、3月7日にこの報告を受け取っていたことを公表しなかったんですよ。
東電は、数多くの試算をし、警告的な数値を得ていたのに、ひた隠しにし、安全性の強化をとらずに、
国の規制当局たびたびの催促でしぶしぶ試算結果を開示した。
東電と国は、事故後も事実を隠ぺいした共犯関係にあったんです」
A4号炉の使用済み核燃料プールの崩壊も、最上階にあるプールの床が傾き、大きな余震が来れば、
ひっくりかえり、東京の避難も必要となる可能性がある。という近藤レポートも2011年秋まで隠された。
海渡さんの話に、そういえば、そうだったーと私。
B浪江町請戸の浜の悲劇の話になった。
津波の翌日、沿岸部の生存者の捜索が予定されていたが、全員避難命令で救助できなかった。
しかし、この沿岸部は放射線量が低く、避難した先が放射線量が高かった。
スピーディの情報が秘匿されたために、津波被災者の早期捜索ができなかった。
秘密って、なんだろう。
特定秘密って、なんだろう。
テロ対策と言われれば、原発の情報も秘密になってしまう可能性がある。
海渡弁護士は、過去の事例も紹介。
1944年12月7日昭和東南海地震があり、約1000人の死者がでた。戦争中でもあり、
軍需工場の被害状況が国民や敵国に漏れるのを恐れ、軍部は報道規制。なんと、
地震の報道もたいしたことがないことになってしまったという。
びっくりですね。
国会議員には、提供することができる。でも、
国会議員の漏えい、過失もだが、懲役5年以下で処罰。
国家的な重要なことを知っても、口に出せないことになり、議院内閣制は
どうなってしまうのか。憲法原理の否定につながる重大な事態。
だから、この国の未来がかかっている法案、
通すわけにはいきません。
みんな頑張りましょうと海渡さんは締めくくった。
次に、情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子さんは、
秘密保護法がまだない現在でも、すでに、秘密が保護されている実態の話でした。
情報公開請求をして、手に入れた書類は、真っ黒け。
自衛隊法の改正されて、すでに自衛隊では防衛秘密を指定している。
そして、その秘密にする機関は決められているが、延長もされることがある。
秘密を解除することもある。
また、時が過ぎ、廃棄にすることもある。
その数を調べたら、廃棄の数が多いという。廃棄ということは、
知る権利はどこへやら。
秘密の解除は、時が過ぎてからだが、知る権利も行使できる。
どんどん廃棄されてて、2011年4月施行の公文書管理法の適用を
受けていなかったことにもほぼ誰も気づいていなかったというからますますびっくりですね。
国会議員も超党派議員と市民の勉強会をはじめたとのこと。
明日は、国権の最高機関たる国会に対する侵害という観点の話
報道と市民運動に対する圧殺が始まるという話
が、衆議院第一議員会館で11:00〜12:30に行われるので、ぜひどうぞと
案内があった。明日は行くことができない。
まだまだ書きたいけれど、今日はこのへんにします。
早く寝ないと、台風接近というのに、明日は人間ドックなんです。
おやすみなさい。