2013年10月15日

それは秘密

台風が接近してきたら、帰りは心配だったけれど、
雨風がまだ強くないうちに帰宅できました。

さて、秘密保護法案の集会に行ってきました。
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会場は、衆議院第一議員会館の多目的ホールは、立見席がでるほど。
200人以上いたような。台風が来るというのに。

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資料もいろいろ配られた。

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国会議員も何人か来られて挨拶していたけれど、この写真は山本たろうさん。
背中にリュックサックを背負って会場入り。
全国行脚をして秘密保護法案の危険性を訴えてきたことを話してました。
「秘密を洩らしたほうも、聞いたほうも処罰される。身の危険を感じた」
他人事ではありませんね。

さて、海渡弁護士の基調講演は、原発事故と秘密保護の関係でわかりやすい話でした。
具体的には、
@2010年11月に、国は東電に津波対策について説明を要求。
 2011年3月7日、東電は「福島第一原発および第二原発における津波評価について」を提出。
        H14年(2002年)の地震調査研究推進本部の長期評価に対応した断層モデルに
        基づいた試算結果 明治三陸地震o.p+13.7〜15.7m
延宝房総沖地震o.p+13.6m
2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震 津波の浸水高 o.p+11.5〜15.5m
         3月7日の報告は、長期にわたって秘匿
2011年3月13日 東電社長会見 
         それ以来、事故は「想定外の津波」を原因とするもので。
         東電には法的責任がないとの主張が繰り返された。
 海渡弁護士は
 「みなさん、国・保安院は、3月7日にこの報告を受け取っていたことを公表しなかったんですよ。
  東電は、数多くの試算をし、警告的な数値を得ていたのに、ひた隠しにし、安全性の強化をとらずに、
  国の規制当局たびたびの催促でしぶしぶ試算結果を開示した。
  東電と国は、事故後も事実を隠ぺいした共犯関係にあったんです」

A4号炉の使用済み核燃料プールの崩壊も、最上階にあるプールの床が傾き、大きな余震が来れば、
ひっくりかえり、東京の避難も必要となる可能性がある。という近藤レポートも2011年秋まで隠された。

海渡さんの話に、そういえば、そうだったーと私。

B浪江町請戸の浜の悲劇の話になった。
津波の翌日、沿岸部の生存者の捜索が予定されていたが、全員避難命令で救助できなかった。
しかし、この沿岸部は放射線量が低く、避難した先が放射線量が高かった。
スピーディの情報が秘匿されたために、津波被災者の早期捜索ができなかった。

秘密って、なんだろう。
特定秘密って、なんだろう。
テロ対策と言われれば、原発の情報も秘密になってしまう可能性がある。

海渡弁護士は、過去の事例も紹介。
1944年12月7日昭和東南海地震があり、約1000人の死者がでた。戦争中でもあり、
軍需工場の被害状況が国民や敵国に漏れるのを恐れ、軍部は報道規制。なんと、
地震の報道もたいしたことがないことになってしまったという。

びっくりですね。
国会議員には、提供することができる。でも、
国会議員の漏えい、過失もだが、懲役5年以下で処罰。
国家的な重要なことを知っても、口に出せないことになり、議院内閣制は
どうなってしまうのか。憲法原理の否定につながる重大な事態。
だから、この国の未来がかかっている法案、
通すわけにはいきません。
みんな頑張りましょうと海渡さんは締めくくった。
         
次に、情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子さんは、
秘密保護法がまだない現在でも、すでに、秘密が保護されている実態の話でした。
情報公開請求をして、手に入れた書類は、真っ黒け。
自衛隊法の改正されて、すでに自衛隊では防衛秘密を指定している。
そして、その秘密にする機関は決められているが、延長もされることがある。
秘密を解除することもある。
また、時が過ぎ、廃棄にすることもある。
その数を調べたら、廃棄の数が多いという。廃棄ということは、
知る権利はどこへやら。
秘密の解除は、時が過ぎてからだが、知る権利も行使できる。
どんどん廃棄されてて、2011年4月施行の公文書管理法の適用を
受けていなかったことにもほぼ誰も気づいていなかったというからますますびっくりですね。

国会議員も超党派議員と市民の勉強会をはじめたとのこと。
明日は、国権の最高機関たる国会に対する侵害という観点の話
    報道と市民運動に対する圧殺が始まるという話
が、衆議院第一議員会館で11:00〜12:30に行われるので、ぜひどうぞと
案内があった。明日は行くことができない。

まだまだ書きたいけれど、今日はこのへんにします。
早く寝ないと、台風接近というのに、明日は人間ドックなんです。
おやすみなさい。
posted by のんのん at 23:10| 平和

2013年10月20日

テレビをみててドキッ

昨夜、ドイツがアフガンに兵を派遣したときのことを放送していた。
ドイツの憲法には、
集団的自衛権のしくみが平和維持のためにNATO内でならと書いていたものの、
アフガンへは、その憲法改正という手続きをせずに、解釈の変更で
派遣したという。
裁判所は、法改正ではなく、議会の承認があれば行ってよいと判断したから。
専門家は、この時、きちんと時間をかけて、法改正の手続きをとればよかった。
と当時をふりかえっている映像。

アフガンへ行った兵士の5人に一人は、PCSDと診断されたという。
アフガンに行った元兵士が、当時をふりかえった言葉が聞いて
ドキッとした。
「アフガンに行くとき、現地の詳しい情報はなかった。
行ったら、戦争状態だったが、そのことを口に出すことは許されなかった」

今、臨時国会で、集団的自衛権と秘密保護法が審議されている。
今更ながら、ほんとにドキッとした。
こんなことをブログに書くのも、今のうちなのかもしれない。

今日は、大雨なのですが、地域の敬老の集いです。
足元が心配です。

夜は、地域の区長さんたちが勉強会を開きます。
講師は、市長。そのあと、地域の議員もお話する時間を少しいただいています。

posted by のんのん at 09:12| 平和

2014年01月10日

フィリピンへ派遣された陸上自衛隊の報告

陸上自衛隊の賀詞交換会で、フィリピンへ派遣された陸上自衛隊の報告があった。

スクリーンを見ながら、さながらに派遣されたときの時間の流れと緊迫感が伝わった。

テレビなどでは報道されない現場、派遣を送り出すほうの不眠不休での準備などを知った。
送り出す隊員は、ヘリコプターが万全の整備状態で、利用できるように
不眠不休だったという。

また、伊豆大島での台風26号の被害の際にも、
別途訓練の計画もある中、迅速にヘリコプター隊は救助に向かった。
対応した背景の苦労があった。
また、大嶋からの負傷者を病院に運んだのは、14人。
陸上自衛隊のヘリコプター隊がきさらづ基地まで、連れてきた。ここから、アクアラインで
病院へ緊急配送したという。
首都直下型地震のときの災害救助の拠点も念頭に日々訓練していたという。
私たちの日々の積み重ねの平穏は、こうした自衛隊の活動も
ひとつあるなーと思った。

今年、一年、災害もない穏やかな日々の積み重ねでありますように。



posted by のんのん at 14:35| 平和

2014年04月12日

ノーベル平和賞候補

「憲法9条」ノーベル平和賞候補に

このニュースはびっくりしました。
「戦争放棄を定めた憲法9条を持つ日本国民がノーベル平和賞の候補になった。」
というのです。

決まるのは、秋。
受賞の候補になったことがうれしい。

世界が注目しているんだなと思った。
posted by のんのん at 17:21| 平和

2014年04月19日

課題解決先進国

グローバル化は今に始まったことではない。
歴史をさかのぼり、江戸時代はすでに、グローバル化していた。

田中優子さんの講演は、そこから始まった。
270年間も戦争をしない国を作った。江戸時代の文献に
「泰平」という言葉がよく表れる。
泰平の世は、なんてすごいことなんだろう。と戦争をしない幸せを
満喫していた。

何がそれを支えていたのか、それは政治思想、儒教。
文献国家、法律、法治国家をつくる。
それには、教科書をつくろう。
武士はその知識を得ることができるように、ひらがなだけでなく、漢字
も読めるようになろうと教育が始まった。
庶民も自主的な学びの場である寺子屋ができ、
文字を学び、挨拶ができ、手紙が読めるようになり、
とりひきができるようになった。

さて、今の時代のグローバル化。
日本は課題解決先進国 
公害問題も乗り越えてきた(完璧ではないけれど)
原発事故も公害である。これも今大きな課題。
少子高齢化。わかっているのに、特に対策もなく、迎えてしまった。
それも、人口減少とセットで。
戦争をしない国。

窮地を楽天主義的に乗り越えよう。

今までも世界ではいろいろ乗り越えてきた。
女性の参政権がなかった時代がある。
黒人が大統領になるなど、考えることがなかった時代がある。
どうせ、できないと思ったら、何もしない。でも、
必ずそこに至る道があり、優先課題を実現してきた。
必ずできる。

憲法は人権が柱にある。だから戦争をしない。
憲法を守るだけではなく、憲法は、理想である。
理想に近づける努力をする。実現できるように、課題を解決していく。

自分で考え、自分で決める。てきとうに選んだり、選ぶのをやめるのは×
メディアの裏をみる力をつける。
それには、本を読む。
人と考えを議論しあうことで、自分の言葉で自分の考えをいう。
自分自身を教育する。

今、大学は、大部屋の講義から、議論しあう場に変わっている。

田中優子さんの公園、1000人はいる会場は立見席でいっぱいだった。
夫と二人で初めて講演を聴きに行った。
次の予定があり、急いで船橋駅に向かった。

途中、交差点でふらついてころんだ方をみかけた。
信号が変わったら、すぐに起こして、駅に向かった。
間に合った。
posted by のんのん at 23:04| 平和