2014年04月20日

沖縄スタディツアー 真喜志好一さん語る

17:00沖縄着
やっぱり沖縄は半そでで十分でした。
すぐに、真喜志(まきし)好一さんの事務所に行きました。
真喜志さんは建築家
今日は建築の話ではなく、沖縄で続けている運動のこと。

沖縄は、以前琉球王国だったこと。
第二次世界大戦の終戦のときに、住民が避難していた間に、
住民の家や田畑などが、撤去させられ、米軍の普天間飛行場になってしまったこと。

沖縄には、米軍基地がいくつもある。
なんと、沖縄の面積は国土の0.6%なのに、日本の75%が沖縄に基地がある。
というから、どれだけ、沖縄の人に負担をかけ続けているのか、
真喜志さんの話を聞いていて思った。
彼の運動は、とことん事実を調べて時系列で物事がどう変化し、今に至っているのか
紐解いていた。
膨大な資料もみせてもらった。
ここに書いてあったんだよと英語でびっしりの資料をみた。

普天間基地の飛行場は、町の真ん中にあり、危険。
米軍の安全基準に合わない 滑走路の端から4500mある。
住宅、学校、病院、集会場などを作ってはいけない。
そこに、オスプレイを配置しているんだから、
おかしいだろう。日本政府はそれを放置している。


辺野古移転は、最近の話じゃないことも話してくれた。
その裏付け
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調べたら、1966年にさかのぼったそうな。

単に反対運動をしているのではない。
事実をあきらかにし、そのゆがんだ事実のために、
不当に、沖縄の人たちの人権を侵害している。そのことを正していく。
事実を住民に伝え、判断する力を育て、束ねていく。
そのプロセスを語る。私は引き込まれ、わくわくして聞いていた。

そうそう、
日本国憲法でひとつだけまちがいがあるという。
それは、民主主義を多数決でということ。
沖縄など、少数の人たちの人権はどうなのか。
問題提起だった。

******************
21日、一部加筆修正


posted by のんのん at 23:58| オスプレイ

2014年04月21日

命、暮らしを守る人たち

なぜ、田中は沖縄まできたのか。
市議なら、木更津のことをと思う人もいるかもしれない。
同じ日本で、それも、沖縄がなぜ、こんなに人権や地方自治が
踏みにじられているのかとまざまざと学んだ一日だった。
そして、本土には、沖縄の情報がストレートに伝わらない
実態があるのではと思った。
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今日は、
沖縄県議会議員の「社民・護憲」会派と意見交換。
名護市長と意見交換
高江で、オスフレイのヘリパット建設に反対運動をしている方のお話を聞いた。

まず、
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ここは、左から県庁 県議会棟 那覇市役所

社民党は、第一野党。
2010年2月県議会
 「普天間飛行場は閉鎖・県内移設に反対」の意見書を全会一致で可決。
2012年9月オスプレイが。
2013年1月
県議会、市町村長と、
「普天間基地閉鎖、撤去、辺野古断念せよ」
2013年11月 国会議員が
県外移設を県内移設にとなり、
沖縄の尊厳を踏みにじられ屈辱的だった。
そして、年末の知事の承認。
一括交付金のからくり。
これは、沖縄振興に資するものに使えるという。
市町村にとっては、なかなかそのような意図で使えるものはない。
H23〜26年度の沖縄県の当初予算をみると
国庫支出金に含まれる、一括交付金は、24年度から。
ところが、国庫支出金から一括交付金をひくと、
H23年度並みの国庫支出金はもらえていない状況で、
つまり、なんでも使えそうな報道をされていたが、実は、
使い道は限られていて、
かつ、今までの分に丸々プラスされたのではない。
ということ。
そうそう、カジノで世界の動向を比較すると、
マカオもシンガポールも初期投資で比較すれば沖縄にはむり。いらない。
また、カジノ依存症の対策からみても、対策をしているシンガポールでも依存症は絶えないという。
千葉県もカジノには前向きでおおいに懸念するところ。
具体的に無理であることをいろいろな角度からの見解の説明を受けた。

車窓。グラジオラスが咲いていた。
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辺野古のある名護市役所に到着。
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名護市長の話。
環境と人権 
@この2つを抱えているのが辺野古。
Aこれだけ小さな島に日本の74%の基地がある。アメリカや他国ではこのような状況が許されるのか。
B住民の居住する目と鼻の先に基地があるこの不条理さ。なぜ、日本では許されるのか。日本政府がいいといっても使うのはアメリカ。
C橋本・モンテール会談で、危険性を除去するという話がスタート。

名護市企画部広報渉外課が発行した「米軍基地のこと 辺野古移設のこと」
http://www.city.nago.okinawa.jp/9/8048.html
4.5ページ参照
普天間→辺野古への平行移動ではない。その理由は
@弾薬庫を隣接
Aオスプレイが離着陸するヘリパッドが4つ
B250m以上の護岸ができ、ヘリを運搬するような大型船も接岸可能
C燃料桟橋をつくり、航空機用の燃料を運搬するタンカーが接岸
D飛行機を洗浄する洗機場をつくる
など、普天間飛行場にないものも建設のプランにはあります。
このパンフレットは、名護市民に全戸配布。中学生にもわかるように、作成されました。
市民に判断する材料をきちんと提供する市の姿勢がうかがえます。
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市役所 外観 魔除けのシーサーがこんなに。

車窓。晴れたり曇ったり。へんな天気。
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でも、海は穏やか。

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さて、東村の高江の反対運動のテントでの話。
沖縄県を北上すると、豊かな森に囲まれた山原(やんばる)が、東村にある。
ここには、絶滅危惧種が数多く生息している。
ここは、手つかずの森。貴重な植物も多い。
また、近くには沖縄県の水がめであるダムがある。
そこに北部訓練場がある。
ここは、ジャングル戦闘訓練の場。
パナマにもあったけれど、1999年に返還されて、世界ではここだけ。
ベトナム戦争に行く前に、米軍はここで枯葉剤を使う訓練もしたという。
ここにはヘリパッドが22か所あり、今7つのオスプレイ用のヘリパッドを建設中。
それを阻止するために座り込みの反対運動を7年間続けている。非暴力の運動。
国は、それを訴えた

もしも、自分の住んでいる家にそばに、オスプレイの離着陸する場所があったらどんなに爆音がするだろう。
その訓練が日常的に行うということは、日々、軍事ヘリが飛び交い、人も生態系にも影響がある。
また、墜落の危険にさらされる。
この訓練場では、ベトナム戦争のころ、ベトナム村を作り、地域の子どもがそこへ行き、標的になるという訓練もされたという。
当時、この「やんばる」にはいって、まきを集め、生活していたため、お菓子をもらってそこに行くことは断りきれなかったのだろうと語る。
標的の村の映画はここからつくられたという。私はまだこの映画をみていない。
「悲しいけれど、これが日本。基地はいらない。座り込みをして非暴力の反対運動をしている住民を国は訴え、裁判になっている。これはSLAPP訴訟。高江だけの問題ではない。日本全体の問題。」と強く語る。
SLAPP訴訟…大きな力を持つ国や企業が弱い立場の住民を威圧し、委縮させることを狙って訴訟を起こすこと。アメリカで等では法律で禁じられ訴え自体却下される。
安心して暮らしたい。それを望み続け、運動している。
ヘリパッドは2か月くらいでできるそうだ。でも、7年間かかっている。
それでも、2か所はできてしまった。
油断はできないと語る。そこには、ひたすら、命、暮らしを守り続けている素朴な力強さがあった。
暮らしと政治がとても身近に感じた一日だった。

posted by のんのん at 18:57| オスプレイ

2014年04月23日

命・暮らしを守る

琉球新報のニュース、今、インターネットで読んだ。
沖縄防衛局の申請書類に不備 普天間移設で名護市長2014年4月22日

名護市の稲嶺進市長は22日、米軍普天間飛行場の移設先である名護市辺野
古の埋め立て工事に向け、沖縄防衛局が提出した辺野古漁港の使用許可など
6項目の申請書類に不備があるとして、追加資料の提出や説明を求めること
を明らかにした。市役所で記者団に語った。
 稲嶺氏は「(防衛局が提出した)文書では、申請の中身がどのようなもの
か理解しがたい」と説明。防衛局が市に5月12日までの回答を求めたこと
に対しては「あまりにも一方的。法定根拠はあるのか」と批判した。
 防衛局は今月11日、資材置き場に使うための辺野古漁港の使用許可など
計6項目を市に申請した。
・・・・・・・・・・・・・・・
昨日、名護市長とあったばかりだ。まさしく、昨日の続きだった。
だから、このニュース、とても身近に感じた。
なぜ、5月12日までと急ぐのか。法的根拠は政府はどう示すのだろう。
「資材置き場に使うための辺野古漁港」に今日、行ってきたばかりである。
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辺野古漁港の桟橋。米軍の水陸両用車が訓練していた。
この裏が漁港。そこには、
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「ヘリ基地反対協議会」の辺野古テント村があった。
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テント村村長の話を聞く。

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基地閉鎖をしたら、経済的によくなると財政面についても、
レクチャーする。
すごい。よく調べている。
話声が聞こえない。
空を見る。
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ヘリコプター
「毎日、わしらを偵察にくる。辺野古基地を作るときには、
まずここを資材置き場にするために、埋めたてて、
このテント村を撤去させようとしている。」と話していたところだった。
だから、とても身近にニュースを読んだ。

さて、その辺野古基地については、
昨日のブログにも掲載したが、
名護市が作成したパンフレットに詳細が書かれている。

今日は、実際にどんなところにつくろうとしているのか、
名護市議の東恩納さんに舟で案内してもらった。
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隣は市原市議の小沢さん。出航。
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陸にある建物はキャンプシュワブ。
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宿泊から映画館、ボーリング場などの娯楽もあり、すべてそこでまかなえるほど大規模。

途中、舟を止める。浅いところ、深いところがあるが、
緑の透明感のある海、ジュゴンが生息している海。サンゴがある海。
陸の建物も壊し、もっと奥に移転し、政府は高さ10mの基地をつくろうとしている。
この海もうめたてて基地をつくろうとしている。
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環境アセスをしたあとに、桟橋の大きさを大きく変更した。
なんのための環境アセスだったのだろう。

灯台のある小さな島に上陸。
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下をみおろすと、サンゴが。
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ほら、きれいでしょう。この透明感。

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6月ごろになると、オーストラリアから、エリグロアジサシが産卵に来る。
基地の爆音など、環境の変化でここにこなくなるかも。

さて、22日午後は
琉球大学 
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教育学部の一室で、島袋純教授の講義を受ける。

島袋先生の著書
「沖縄振興体制」を問う −壊された自治とその再生に向けてー
の本は、事前に読んでおくのが宿題だったが、まだ読み切れていなかった。
2回の県ネットでの事前学習、そして、あちこちの視察研修で見聞きしたことは
先生の講義で、おさらいとなり、また、新たなことを知る機会となった。
とくにここに書き記し、伝えたいことといえば、
@ 10年ごとの沖縄振興開発計画は、国が作ってきた。
沖縄県がはじめて、自分たちで計画を作ることができたのは、2002年に一部改正のとき。
戦後はじめてである。基地問題はたくさん書かれている。
それまでの国が作った計画には、基地問題は書かれておらず、第三次のときも、基地問題は削除され、たった一行だった。

A駐留軍用地特別措置法 
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この法律、今もですって。びっくり。
ある日、突然、ここを立ち退いてと私たちは言われたら
土地を明け渡さなくてはならないなんて。
伊江島の人たちが基地反対と土地を守ったら、2か月間嘉手納に連れていかれたそうな。

Bアメリカに明け渡した土地は、日本の法律ではなく、
その土地の中での法律を作る権限は、アメリカにある。
逮捕も法律もアメリカ。
だから、事件が起きても、ベールに包まれるんですね。

Cアメリカに戦争で日本と同様、負けたドイツ、イタリアを例にすると、
 ドイツやイタリアにある米軍基地の管制官は、ドイツ人やイタリア人で、自由。
 沖縄にある米軍基地の管制官は、米軍。

D沖縄の基地問題は、国全体のことであるはずなのに、政府はだんだん
争点を小さくしている。
沖縄県のこと→ 沖縄の市町村のこと →辺野古のこと 

E再編交付金…これは米軍建設に協力的と政府から判断されたら、もらえる国のお金。
これは、公共施設の維持管理にも使える。
これは、財政的に苦しい市町村へのあめとムチ。
これは、市町村の分断を引き起こす。
建設に協力した市町村は、財政が豊かになり、
基地反対の意思を貫くと、財政が厳しいまま。

F2000年頃から、政府はがらりと変わった。
沖縄振興開発計画は、
それまでは、「沖縄に対する償いの心」という表現をしていた。
ところが、2000年以降は、「基地のみかえり」と表現を露骨にしてきた。
少なくとも、政府はそんなふうに表現を変えていっても、
私たちは、政府やマスコミに左右されず、
正しく、物事を判断できるようにしなければと思った。


ここで、マスコミと書いたのは、
沖縄の新聞記事のトップ記事が、本土の全国紙では、どんな扱いなのだろうかと思ったから。
ちなみに、22日の琉球新報の朝刊は、
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2面には、教科書問題。

さて、琉球大学をでて信号待ちをしていたら、急に大きな音。
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わかります?
左、木の上あたりに、オスプレイ。

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すぐに空高く飛んでいきました。

次は、普天間基地が見える公園に行きました。
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階段を上っていくと、ありました。
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普天間基地の周囲は、住居がびっしり。
公園の掲示物。
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ちょっと拡大しまーす。普天間基地のできた経緯が書かれています。
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今度は、景色を拡大。
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オスプレイがあった。

こちらは、公園にあったトーチカ。
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弾丸の後が数多くあり、鉄筋もむき出しになり、銃撃戦のすさまじさ。

中は大人が3人ほどは入れる大きさ。
のぞくと、
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そう。ここは公園。子どもたちが数人でたりはいったりして遊んでいた。

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普天間基地は宜野湾市の真ん中にあることがこの地図でもよくわかる。
地図には、学校や公園も書かれていた。

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命・暮らしを守ろうと、ずっと立ち向かい続けている人たち、地域がある。

ちょっと、重いテーマで、最後まで読んでくれてありがとう。
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公園に咲いていたハイビスカスで、一息ついてくださいな。

























/imag瑣潩⡮彰佯橢
posted by のんのん at 00:04| オスプレイ

2014年04月24日

命・暮らしを守る…沖縄研修(続)

チビチリガマ(鍾乳洞の洞窟)
1983年まで、ここで集団自決があったことは、38年間だれも話さなかった。
南風(パイヌカジ)の吹く日―沖縄読谷村集団自決 下島哲朗 著
に書かれている。
なぜ、だれも話さなかったのか。どんなことをおきたのかを
説明してくれた。
*******************
読谷村(よみたんそん)は、復帰後76% 今36%の面積がアメリカの基地
洞窟が村に20個ほどある。
1945.4.1 アメリカ軍は18万3000人上陸。
日本軍の数は11万人で、また、経済力も当時11倍の差だったので、
人だけでなく、軍事品も差が歴然。
とにかく、本土決戦の時間稼ぎ。
村民(といっても女・子ども・高齢者、男は戦争へ)は、
3.24.25には、危険回避のため、元気なものは、北部のやんばるの森へ
妊娠中やこどもなどは、近くの洞窟へ隠れた。

生死を分けた。
チビチリガマは、集団自決 
一方、シムクガマは、1000人(数えたわけではない。
とにかくおおぜいという意味だそう)全員助かった。
その理由は、リーダーの違いと、平和学習では、語っている。

今は、集団自決とはいわず、「集団強制死」といっている。
当時の国の教えは、死を美化していたし、小さな子供が自らの意思で
死を選択するとは考えられないからだ。

シムクガマは、ハワイがえりの男性がアメリカ軍と交渉していた。
その写真も残っている
捕虜になっても殺されると思い込んでいた村民に
「太陽を見て死のう」と言って、洞窟から村民を連れだした。
*********
と、説明してくれた。
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日本一の読谷村
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日本一、人口の多い村。
全国から、陶芸家が移住。

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嘉手納基地が見える展望台がある道の駅に行った。
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嘉手納基地は、アメリカが国外でもつ基地で一番広い基地なんだって。

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ラスト、3方向が普天間基地で囲まれている佐喜眞美術館。
22年前に、再契約で変換してもらったが、ここだけだったとのこと。
(再契約といっても、戦争後に勝手に基地にされてしまったことは、今までのブログにも
掲載しました)
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正面がお墓。亀の甲のような形。沖縄独特のお墓です。右手が美術館。
この美術館を作ったのが、初日にレクチャーしてくれた建築家 真喜志さん。

屋上は、奥さんが説明してくださった。
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慰霊祭も行う。
正面の四角い窓は、6/23に太陽が真西に沈むとき、このまどの中に太陽がみえる。
琉球王国の中城(グスク)の城壁にある太陽の観測穴を、美術館の屋上に再現した。

上までいくと、普天間基地が一望できる。
下をみると、
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お墓。こちらは、現在沖縄でよくみかける家の形のお墓。
(私にとってはどちらのお墓も今回初めて観た形)

フェンスの向こうは、基地の敷地です。
その向こうの木々はかんしょう地帯 その向こうが滑走路。
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その向こうに小学校。
ヘリコプターが36機 うち、オスプレイが24機…。
当時、800軒の家・畑があった。
沖縄は、1945年にアメリカに。のちに、返還され、沖縄県になった。
日米安保を決めたときには、沖縄は選挙権がなかった。自分たちが決めたものではない。
日本という国は、憲法より、安保が大事なのか。沖縄ではそうだ。
無意識の差別。
この言葉がこころに響いた。

美術館には、丸木位里・丸木俊さんが描いた「沖縄戦の図」があった。

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3泊4日の研修は、沖縄の今、置かれている現状、
それは、日本の政治に深くかかわっているにも関わらず、それが
日本全体の課題にならないようになっていると感じた。

ちょうど、オバマ大統領が来日している。
オバマ氏は中国が領有権を主張する尖閣諸島をめぐり
日米安全保障条約に基づく米側の防衛義務を共同記者会見で表明というニュース。
尖閣問題で米大統領が安保条約適用を公言するのは初めて。

このニュースに、今までの私だったら、深く考えずにスルーしていたと思う。
でも、
今までの日米安全保障条約では、島は自分で守ってよ。
アメリカはそこまでしないよというスタンスだった。(2014.4/8ブログ参照)

どうなるんだろう。目が離せない。













posted by のんのん at 17:09| オスプレイ

2014年06月25日

オスプレイ…群馬県

「榛東村がオスプレイの訓練受け入れに協力するんだってね。
昨日のニュースで知ったんだけど」と同期の議員が私に。
「え?群馬?」
「そう。」
2人で、いろいろ想像した。
そこへ行くにも、そこからどこかへ行くにも、必ず他の市町村の上を通過する。
その周りというか、そうなったら、近いか遠いかではない。
いつ、なんどき、自分たちの頭上を飛ぶかもしれない。
沖縄でみた頭上のオスプレイの光景が脳裏に広がる。

 榛東村議会は十九日に「沖縄県の負担軽減に寄与するなら
ばオスプレイの訓練を受け入れ、自衛隊
のオスプレイ配備についても理解を示す」との決議を採択している。
と、東京新聞に書いてあった。

んー。この間沖縄で、オスプレイが15cmの部品をどこかで落とした
というニュースがあったのに。
我が家の上は、羽田空港に着陸する飛行機の通り道である。
まどを開けていると、テレビの音は聞こえないときがある。

追申
港まつりの花火大会で尺玉を上げるのにも、
羽田空港にその時間だけの了解を得なければならないと今日、実行委員会で知った。
posted by のんのん at 23:31| オスプレイ