琉球新報のニュース、今、インターネットで読んだ。
沖縄防衛局の申請書類に不備 普天間移設で名護市長2014年4月22日
名護市の稲嶺進市長は22日、米軍普天間飛行場の移設先である名護市辺野
古の埋め立て工事に向け、沖縄防衛局が提出した辺野古漁港の使用許可など
6項目の申請書類に不備があるとして、追加資料の提出や説明を求めること
を明らかにした。市役所で記者団に語った。
稲嶺氏は「(防衛局が提出した)文書では、申請の中身がどのようなもの
か理解しがたい」と説明。防衛局が市に5月12日までの回答を求めたこと
に対しては「あまりにも一方的。法定根拠はあるのか」と批判した。
防衛局は今月11日、資材置き場に使うための辺野古漁港の使用許可など
計6項目を市に申請した。
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昨日、名護市長とあったばかりだ。まさしく、昨日の続きだった。
だから、このニュース、とても身近に感じた。
なぜ、5月12日までと急ぐのか。法的根拠は政府はどう示すのだろう。
「資材置き場に使うための辺野古漁港」に今日、行ってきたばかりである。

辺野古漁港の桟橋。米軍の水陸両用車が訓練していた。
この裏が漁港。そこには、


「ヘリ基地反対協議会」の辺野古テント村があった。

テント村村長の話を聞く。


基地閉鎖をしたら、経済的によくなると財政面についても、
レクチャーする。
すごい。よく調べている。
話声が聞こえない。
空を見る。

ヘリコプター
「毎日、わしらを偵察にくる。辺野古基地を作るときには、
まずここを資材置き場にするために、埋めたてて、
このテント村を撤去させようとしている。」と話していたところだった。
だから、とても身近にニュースを読んだ。
さて、その辺野古基地については、
昨日のブログにも掲載したが、
名護市が作成したパンフレットに詳細が書かれている。
今日は、実際にどんなところにつくろうとしているのか、
名護市議の東恩納さんに舟で案内してもらった。

隣は市原市議の小沢さん。出航。

陸にある建物はキャンプシュワブ。

宿泊から映画館、ボーリング場などの娯楽もあり、すべてそこでまかなえるほど大規模。
途中、舟を止める。浅いところ、深いところがあるが、
緑の透明感のある海、ジュゴンが生息している海。サンゴがある海。
陸の建物も壊し、もっと奥に移転し、政府は高さ10mの基地をつくろうとしている。
この海もうめたてて基地をつくろうとしている。

環境アセスをしたあとに、桟橋の大きさを大きく変更した。
なんのための環境アセスだったのだろう。
灯台のある小さな島に上陸。



下をみおろすと、サンゴが。


ほら、きれいでしょう。この透明感。

6月ごろになると、オーストラリアから、エリグロアジサシが産卵に来る。
基地の爆音など、環境の変化でここにこなくなるかも。
さて、22日午後は
琉球大学

教育学部の一室で、島袋純教授の講義を受ける。
島袋先生の著書
「沖縄振興体制」を問う −壊された自治とその再生に向けてー
の本は、事前に読んでおくのが宿題だったが、まだ読み切れていなかった。
2回の県ネットでの事前学習、そして、あちこちの視察研修で見聞きしたことは
先生の講義で、おさらいとなり、また、新たなことを知る機会となった。
とくにここに書き記し、伝えたいことといえば、
@ 10年ごとの沖縄振興開発計画は、国が作ってきた。
沖縄県がはじめて、自分たちで計画を作ることができたのは、2002年に一部改正のとき。
戦後はじめてである。基地問題はたくさん書かれている。
それまでの国が作った計画には、基地問題は書かれておらず、第三次のときも、基地問題は削除され、たった一行だった。
A駐留軍用地特別措置法

この法律、今もですって。びっくり。
ある日、突然、ここを立ち退いてと私たちは言われたら
土地を明け渡さなくてはならないなんて。
伊江島の人たちが基地反対と土地を守ったら、2か月間嘉手納に連れていかれたそうな。
Bアメリカに明け渡した土地は、日本の法律ではなく、
その土地の中での法律を作る権限は、アメリカにある。
逮捕も法律もアメリカ。
だから、事件が起きても、ベールに包まれるんですね。
Cアメリカに戦争で日本と同様、負けたドイツ、イタリアを例にすると、
ドイツやイタリアにある米軍基地の管制官は、ドイツ人やイタリア人で、自由。
沖縄にある米軍基地の管制官は、米軍。
D沖縄の基地問題は、国全体のことであるはずなのに、政府はだんだん
争点を小さくしている。
沖縄県のこと→ 沖縄の市町村のこと →辺野古のこと
E再編交付金…これは米軍建設に協力的と政府から判断されたら、もらえる国のお金。
これは、公共施設の維持管理にも使える。
これは、財政的に苦しい市町村へのあめとムチ。
これは、市町村の分断を引き起こす。
建設に協力した市町村は、財政が豊かになり、
基地反対の意思を貫くと、財政が厳しいまま。
F2000年頃から、政府はがらりと変わった。
沖縄振興開発計画は、
それまでは、「沖縄に対する償いの心」という表現をしていた。
ところが、2000年以降は、「基地のみかえり」と表現を露骨にしてきた。
少なくとも、政府はそんなふうに表現を変えていっても、
私たちは、政府やマスコミに左右されず、
正しく、物事を判断できるようにしなければと思った。
ここで、マスコミと書いたのは、
沖縄の新聞記事のトップ記事が、本土の全国紙では、どんな扱いなのだろうかと思ったから。
ちなみに、22日の琉球新報の朝刊は、

2面には、教科書問題。
さて、琉球大学をでて信号待ちをしていたら、急に大きな音。

わかります?
左、木の上あたりに、オスプレイ。

すぐに空高く飛んでいきました。
次は、普天間基地が見える公園に行きました。

階段を上っていくと、ありました。

普天間基地の周囲は、住居がびっしり。
公園の掲示物。

ちょっと拡大しまーす。普天間基地のできた経緯が書かれています。

今度は、景色を拡大。

オスプレイがあった。
こちらは、公園にあったトーチカ。


弾丸の後が数多くあり、鉄筋もむき出しになり、銃撃戦のすさまじさ。
中は大人が3人ほどは入れる大きさ。
のぞくと、

そう。ここは公園。子どもたちが数人でたりはいったりして遊んでいた。

普天間基地は宜野湾市の真ん中にあることがこの地図でもよくわかる。
地図には、学校や公園も書かれていた。

命・暮らしを守ろうと、ずっと立ち向かい続けている人たち、地域がある。
ちょっと、重いテーマで、最後まで読んでくれてありがとう。

公園に咲いていたハイビスカスで、一息ついてくださいな。
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